幸運な病のレシピ宣言
「幸運な病」と言う本を出版した。
多くの人と話し合っている間に、
どんなもの食べているの?
それって、安心なの?
と聞かれる。
どうして、僕らは自分の食べ物を「権威=大学の先生・医師・栄養士」に相談して決めてもらわなければならなくなったのだろうか?
ブログに掲載中です。
これから、ずーっと毎日、「厨房仕事」の動画をとっていきます。
『宣言』とは、大げさであるが、この項目は、これから書き足していく。
「幸運な病」で僕は食事こそが重要だと知った。今時、小学生でも「大事だ」ということは知っている。
誰でも食事が大事だという「言葉」は知っている。テレビや雑誌で、健康食品やトクホ、医者の宣伝文句の枕詞だからだ。
しかし、どう大事なのかはしらない。
健康情報は溢れている。しかし、生活習慣病の恐怖は決して去らない。
僕はあの苦しかった日々(2015年4月~)に感謝している。
糖尿病で失明の危機を宣告された事が"幸運にも"食事の秘密を知るきっかけになったのだ。
これから書いていきたい。
と同時に、レシピというよりも「厨房仕事」を立体的に記録する必要を実感した。
食事は、家庭が来おsくしていた。「徒弟的な親子(母娘)の間」で伝えられ、時代に応じて変更が加えられてきた。
重要なことは、家庭が「食事が適切であるかという確認の場」でもあったということである(注1)。
食事とは、「調理」+「手に入る食材」×「食べる人間の遺伝的傾向と過去の生活から生じる代謝の傾向」の関数である。
つまり誰にでも合う答えなど無いのである。
おまけに、毎日年取っていく。
臓器は弱り、代謝傾向は変わる。
世の中のレシピ本は余りに「簡単簡単」と言いすぎている。
そんなに簡単ならば皆している。
僕は毎日朝30分で4品、夕方30分で4品作り、オーバーラップさせて食べている。
多彩なタンパク質を摂る。
白衣の嘘
腹八分目、野菜中心、肉ではなく魚、運動不足が生活習慣病を呼ぶ、
ヒトの数だけ正しさは有る。
自分で見つけようとする試みこそが、正しさを見つけるただ一つの方法だ。
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注1 : 家庭が「食事が適切であるかという確認の場」でもあった
坂口安吾さんは「ラムネ氏のこと」という論文の中で、フグを食うというノウハウがいかに確立したのだろうかという考察を行っている。
そして、現実を変えようとする「心」が世界を変えてきたという。
その原動力は自分の心に正直に生きるということだといい、しかし、どこまでも正直に生きることは出来ない(社会と言うものがなければヒトは生きれない)と堕落論では論じる。
安吾のジレンマは「生きるということの本質」だ。
僕はラムネ氏でありたい。